San Michele sconfigge Satana - Raffaello Sanzio, 1518
カンパニア州では、ランゴバルド人がビザンチンとの戦いで二度圧勝したことで、聖ミカエル信仰がエスカレートしていった。ひとつ目は、ベネヴェントを包囲したコンスタンティヌス皇帝の軍隊との戦いにおいて、ベネヴェントのアリウス派のランゴバルド人がカトリックに改宗したことが勝利に繋がり、かの名高きモンテ・ガルガーノのミカエルの神殿が、ベネヴェントの司教に戦利品としてもたらされた。もうひとつは、聖ミカエルの日のこと、カプアのランゴバルド人たちが、ほんの少数でナポリの何千人ものギリシャ・ビザンチンの兵士に立ち向かい、その自殺行為ともいえる狂気の沙汰の襲撃がさながら大天使の奇跡であったかのようにうまく運び、ミカエルの守護神としての地位は動かぬものとなった。ガルガーノへの巡礼は中世初期に浸透した。ヨーロッパじゅうから質素な信者ばかりではなく王族たちも、大天使自身が奉献した神聖な洞窟に何世紀にもわたって足を運んだ。また、シャルルマーニュによって追放された最後のランゴバルド王デシデリウスの妻アンサ女王の作った「Rete di Tetti(巡礼宿網)」のおかげで、聖ミカエルの巡礼はヨーロッパに広く知らしめられるようになる。